「利他と利己」その裏に隠されたものとは。
一周回ったその先に
2012年東日本大震災以降、社会起業ブームが起こった。
誰かが困るような出来事が発生すると、人間は自分のことよりもその人を優先して考える傾向にある。
これは、東日本大震災のみならず阪神淡路大震災や台風、津波、土砂崩れ等々、人間の力ではどうしようもない天才が起こった際に連動している。
そして、この他者を慮ることは他の動物にはない人間としての美徳としても捉えられてきた。
私も仕事柄、何百人もの全国の社会起業家のみなさんのお世話になってきた。
彼らは社会課題をビジネスとして解決し、継続的に価値が創出されるような形に落とし込んでおり、私も尊敬している。
ただし、社会起業ブーム以降尋常じゃないほど多くの若者が「誰かの為に!」「〇〇で困っている人の為に!」と社会起業家を目指すようになったことには喜びと同時になんとも言い表せないような違和感も感じていた。
結局は「利他」も「利己」も同じなのに
いたってシンプルだ。
<利己意識の強い人間>
傾向としては、たいして他者に興味は無く、自分の欲求を最優先している。
「こんな食べ物が食べたい。」「こんな服が欲しい。」「こんな車が欲しい。」
一見すると社会的には、個人的な欲求しか考えていないようにも見える。
ただし、利己意識が本当に強まってくるとこうなるのだ。
「こんな地域に住みたい。こんな社会をつくりたい。こんな地球に住みたい。」
ここまで考えることができるということは、見方によってはある程度他者の考え方を理解する必要があるし、一定の教養を身につける必要がある。
でなければ一瞬の妄想で終わってしまい、ここまで驚異的な欲求には至らない。
そして諸情報を理解するという前提の上で考え抜かれた先には、「私もそう考えてた!」という共感が生まれることがある。
すると気づく頃には「圧倒的な利己意識」は「圧倒的な利己意識」に変化している。
<利他意識の強い人間>
一方、利他意識が強い人間はというと、自己犠牲を厭わずとも困っている人の為に自分のリソースを使いたいと思う人が該当している。
先ほどの流れに当てはめてみよう。
「〇〇で困っているAさんのために」「どんなことで困っているんだろう」「それを解決するために自分には何ができるんだろう」「よし!〜〜をしよう!」
上記のように考えることは正直誰にでもできると思う。
しかし、それを実際に行動にうつせる人というのは一定数に限られてしまうのではないだろうか。
そして、行動にうつせるということはただ誰かの困りごとを感じるだけではないのだ。
「〜〜しよう!」
これを噛み砕いていくとそこには隠れた利己意識が存在している。
実際の思考プロセスでは、「〜〜しよう!」の前に「〜〜したい!」という欲求的思考が存在する。だから、欲求が決意に変化し、行動へと移行していくのだ。
そして、行動することが”自分のにとってのやりたいこと”であるとするならば、それは既に利己的欲求になっているのではないだろうか。
「利己」と「利他」の違い
というように、「利己」と「利他」の違いをこのように考えていくと大差ないように思うかもしれない。
ただし、その大差ないのは結果としての話だということも理解いただければと思う。
結果は同じような状況に至ったとしても、それでもやはり発端と過程というのは重要だ。
その人が一番初めに、誰のことを考えて行動に至ったのか。
そこには各々の思想や哲学的なものが入ってくるのだろう。
さて、あなたは「利己的意識の強い人間」「利他的意識の強い人間」のどちらだっただろうか。
両者の考えを理解することで、より自分らしく行動できるようになれるのだ。
あなたにとって、素敵な人生になりますように!